消費者行動のマーケティング

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ブランディングの名手 マスターカード クレジットカードがなぜ、「精神的な豊かさ」なのか?

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クレジットカード業界でビザと並び世界2強の一角を担うマスターカード。実際は世界の決済額シェアでは両者は2倍以上の開きがあるが、ブランディングに力を注ぎ、消費者のマインドシェアでビザと互角に渡り合えるまでになった。

そのブランディングの根幹をなすのが、世界中で展開された「プライスレス…お金で買えない価値がある。」の広告キャンペーンだ。

お金やモノとの結びつきが強かったカード業界にあって、逆説的に「精神的な豊かさ」と結びつき、そのブランドは独特なオーラをまとうまでになったのだ。

forbesjapan.com

ビザの好敵手、マスターカード

日本クレジット協会によると日本人の大人が持つクレジットカードは平均で2.8枚だという。全て財布に入れているすれば、もはやプラスティックのカードが無尽蔵に増える状況ではない。その希少な座を巡ってカード会社が日々しのぎを削る。現状ではビザカードがカード業界の頂点に君臨するが、そのあとを追うのが今回取り上げるマスターカードだ。

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マスターカードといえば誰もが思い出すのは「プライスレス…お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで」という広告キャンペーンだろう。共通のキャッチコピーで世界各国で展開し、マスターカードは世界中にその名をとどろかせた。

そのブランドも成長軌道に乗り、世界最大のブランドコンサルティング会社、インターブランド社が発表したブランド価値評価ランキング「Best Global Brands 2019」ではブランド価値成長率で世界1位になったという(Interbrand 報道資料2019.10.17)。

2019年にはブランドロゴも刷新している。「mastercard」の文字を外し、赤とオレンジの円のみのシンプルなデザインにしたのだ。わざわざブラン名を表記しなくてもマークだけで十分に通用すると踏んだのだろう。自らのブランドに対する自信をのぞかせた格好だ。

マスターカードは世界中の加盟店をつなぐ決済プラットフォームであり、利便性や安全性に優れた決済ソリューションの提供に邁進するテクノロジー企業である。クレジットカード自体の発行はしていない。カードの発行は日本でなら三井住友カードや楽天カードといった「イシュアー(カード発行会社)」と呼ばれる会社が行う。

純然たる決済プラットフォームである点では業界トップのビザも同様であり、イシュアーや加盟店をつなぐ国際ネットワークを巡って両ブランドは熾烈な覇権争いを繰り広げている。マスターカードの公式サイトでは「世界で最も多くの場所で使える」とあり、加盟店ではわずかならがマスターカードがビザを上回っているようだ。

世界2強の一角、ブランドに求められるものとは?

かつて「インテル 入ってる(Intel Inside)」のCMが一世を風靡したが、購入するパソコンの基幹部品がインテル製であれば、処理速度など性能面で安心だと考える人もいるだろう。

消費者にとっては自分が持つカードに入るマークも同様の意味合いを持つ。ブランドが強く主張してくることはないが、そこにあるだけで見守られているような安心感を覚えるのだ。

日本を代表するイシュアーの三井住友カードではビザとマスターカードの両方を発行する。最初の1枚をどちらのブランドにするのか、あるいは既にビザを持っているなら、2枚目のカードにマスターカードがふさわしいのか、迷う消費者もいるはずだ。

 

そのためだろう。三井住友カードの公式サイトには「マスターカードとは? ビザとの違いやメリットを比較」と題した解説が掲載されている。しかし、そんな理性的な説得が効果を上げるには、マスターカードが検討に値する許容ゾーン、すなわち考慮集合に入っていることが前提となる。

www.smbc-card.com

何もアップルやナイキのように熱心なファンになってもらう必要はない。「マスターカードならまず間違いない」「利便性の点でもビザと遜色ないだろう」と直感させることが不可欠なのだ。

実は世界の決済額シェアではビザがマスターカードを大きく上回っており、その差は2倍以上にもなる。

消費者からマスターカードがビザと並び立つ2強として見られるか? あるいはビザ以外のワン・ノブ・ゼムのブランドとして見られるか? 消費者のマインドシェアの戦いでどこまでビザと互角に渡り合えるかがマスターカードの命運を握ることは想像に難くないだろう。

そのため、マスターカードは決済テクノロジーに磨きをかける一方で、ビザ以上にブランディングに情熱を傾けてきたのだ。

ブランドを躍進させたプライスレス・キャンペーン

そして、そのブランディングの中核をなすのが冒頭でも触れた「プライスレス」をキーメッセージにした広告キャンペーンである。米国で1997年、日本では1999年からスタートし、その後は世界各国で展開されている。始まった当初は広告作品としても高く評価され、権威ある広告賞をいくつも受賞したという。

英語本来の“Priceless”には「価格をつけることが出来ないほど貴重な」といった意味があるらしい。マスターカードのプレスリリースには、同ブランドは「商品を購入するという行為の先にある価値観の提供」を目指すとあり、「自分と自分の大切な人にとってかけがえのない体験こそが、お金で買えない価値である」と述べている。

たしかに家族や恋人、親しい友人たちと特別な体験をしようとするとき、誰でもお金を惜しみたくはないだろう。ずっと思い出に残るのだ。折角の機会をしぼませるようなことはしたくない。そんなときは(ビザではなく)マスターカードの出番である。その体験のために必要な出費はマスターカードで払いましょう、「お金で買えない価値」のために、お金で買えるものはマスターカードで購入しましょうというわけだ。

テレビCMではそんなメッセージを大上段に振りかざすのではなく、具体的なエピソードを交えて静かに語りかけてくる。

日本で放映されたCMを例に挙げれば、親子で楽しむキャンプ体験やスポーツ観戦、久々の帰省で再会を喜ぶ祖父母と孫たち、子育てを終えた夫婦が二人っきりで行く旅行、母親の誕生日に予約したとっておきのレストラン。

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「プライスレス」のメッセージに軸足を置きつつ、様々なシーンが描かれる。それらの体験には相応の出費もかさむだろうが、そこはマスターカードの力も借りて、お金を惜しんだりはしていないことが暗示されるのだ。

クレジットカードは「手持ちの現金がなくても購入できる」ことが一義的なメリットのため、何も特別なことを言ってはいないはずだ。なのに広告の繊細なトーンともあいまって、なぜかが心を打つのだ。そのメッセージの強さゆえ、世界中の国々で20年以上にもわたって展開されてきたのである。

「プライスレス」というメッセージの強さ

その強さはどこから来るのか?

それはひとえに人々の心に響くテーマ設定ゆえだろう。ちょっと大仰に言えば、人類が忘れかけていたものを思い出させてくれるのだ。物質的な豊かさを過度に求めるあまり、人と人との交流や社会的なつながりがもたらす精神的な豊かさを置き去りにしてきたのではないか? 今こそ人間性を取り戻すべきではないか? そう問われているように聞こえるのである。

家族のだんらんや大切な人との再会、色あせることのない夫婦愛。「プライスレス」のメッセージが投げかける普遍的な価値の尊さに誰もが抗えない。その普遍性ゆえ、プライスレス・キャンペーンは国境を超えて世界中の人たちに受け入れられてきたのだろう。

そして時代がキャンペーンを後押しする。経済成長を遂げても必ずしも幸福度は高まらない、いわゆる「幸福のパラドックス」が人々に広く実感されるようになってきたのだ。結局、「物質的な豊かさ」だけでは人を幸福にしないのでないか? そんな疑問も浮かんでくる。

www.ishes.org日本でもGNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)を大切にするブータンの人々の暮らしぶりや価値観が話題にもなった。

ブランドのポジショニングに与えた影響

そして、「プライスレス」のワンフレーズとマスターカードがセットで刷り込まれたことは、ブランドのポジショニング(頭の中のブランドの位置取り)にも好影響をもたらす。お金やモノとの結びつきが強かったカード業界にあって、マスターカードは逆説的に「精神的な豊かさ」と結びついたのだ。そのことがブランドを特異な存在に変えていく。

「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」。もっと簡単にいえば「物」と「心」、あるいは「見えるもの」と「見えないもの」といってもいいだろう。人の頭の中にはそれら2つを対極のものとして捉えるフレームが既にビルトインされている。本来は密接に関わり合っているはずだが、人は単純な二項対立として捉えてしまう。その方が直感的で分かりやすいし、記憶にもとどめやすい。

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そしてマスターカードが「精神的な豊かさ」なら、そうじゃない方のブランドはすべて「物質的な豊かさ」にしがみついているように思えてしまう。人とのつながりが生む特別な体験がマスターカードなら、ビザや他のブランドはその対極にあって、あたかも物質的な体験、たとえば宝飾品やブランド物の衣服など自分を誇示するための消費を担うブランドに思えてくるのだ。

そんな連想が無意識のうちに想起されるからこそ、消費者はマスターカードから独特のオーラや雰囲気を感じるようになる。

「損失回避」の心理に訴える効果

そしてもう一つ、「プライスレス」を掲げたマスターカードが人々の印象に残りやすい理由がある。それは人々の「損失回避」の心理に訴えていることだ。

「損失回避」とは行動経済学を代表する認知バイアスの一つで、人は本能的に損失を嫌うため、新たに“得る喜び”よりも“失う悲しみ”を高く見積もる傾向があることをいう。これから得ようとするものは容易に断念できても、かつては手にしていて、今は手にしていないものへの執着は想像以上に強く、人は切に取り戻そうとする。

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こうした「損失回避」の心理を巧みに突いたのが前トランプ大統領だ。2016年のアメリカ大統領選で彼が掲げたスローガンは「Make America great again」。「again」と訴えることで本来のアメリカが奪われてしまったことに目を向けさせ、ともに取り戻そうと当時の米国国民に迫ったのであるジョーナ・バーガー著「THE CATALYST 一瞬で人の心が変わる伝え方の技術」)。

プライスレス・キャンペーンも同様の効果を放っただろう。人々には「精神的な豊かさ」をかつては享受していたという思いがある。それは人間性の一部だったはずだ。ところが今や失いつつある。同キャンペーンはそう気づかせてくれるのだ。

露骨には言っていないが、ノスタルジックな広告のトーンや回想シーンのような描き方がそう感じさせるのだろう。人々は取り戻したいという衝動に駆られ、胸にぐっと来るものを感じる。それゆえ印象にも残りやすい。

実は「プライスレス」の広告の中には人生の新たな一歩を踏み出すといった未来志向のシーンも描かれる。たしかに個人的な自己実現に向けた体験も「お金では買えない価値」には違いない。しかし、おおよそ人々の印象に残るのは原初的な人と人とのつながりがもたらす体験だろう。取り戻そうとする「損失回避」の心理が働き、より強く記憶に刻まれるためである。

プライスレスな体験、直接的なサポートも

かくしてマスターカードはビザと並び立つ世界のツートップとして消費者から選ばれるブランドとなった。ここで一つ付け加えておくが、マスターカードのブランディングにおいて、プライスレスのメッセージが生かされるのは広告キャンペーンだけではない。
Forbes JAPAN の2019年12月9 日付の記事によれば、マスターカードはプライスレスな瞬間や体験を提供する優待・特典プログラムの拡充にも努めてきたという。

人気ホテルやレストランの優先予約や割引はもちろん、たとえば日本でなら、クラフトビールを自分でつくる体験や貸し切った豪華クルーズからの花火鑑賞など、通り一遍ではなく常に顧客の意表を突く形で格別な体験の創出を直接的にサポートしている。

newsroom.mastercard.comプログラムの企画にはマスターカードが「パッションポイント」と呼ぶ10の領域を念頭に置く。それは「音楽、スポーツ、映画、芸術・文化、料理、サステナビリティ、ショッピング、旅行、食事、健康」の領域で、いずれも「お金では買えない価値」を人生において体現する場を想定している。

これからも「プライスレス」を金科玉条にマスターカードのブランディングは続くだろう。そして「お金では買えない価値」はマスターカードのブランドに対しても注がれ続けるのだ。

<主な情報源>

「クレジットカードは何枚持ちが理想?あなたの適正枚数を決める方法」 2021年07月21日 三井住友カードの公式サイト

「インターブランド『Best Global Brands 2019』レポート」インターブランド公式サイト 報道資料  2019年10月17日  

「ロゴから社名を取った。マスターカード、ロゴ刷新の意外な狙い」 2019年12月10日 Forbes JAPAN

「世界で最も多くの場所で使えるMastercard」マスターカード公式サイト (参照日2021年12月06日)

「マスターカードとは? ビザとの違いやメリットを比較」 2021年03月25日 三井住友カードの公式サイト

「10年目迎える『プライスレス』キャンペーン - 新CMに大竹しのぶ」 2008年05月26日 マイナビニュース

Mastercardが「pricelessを選ぼう。」キャンペーンを開始 マスターカード公式サイト プレスリリース 2017年

ジョーナ・バーガー著 桜田 直美訳「THE CATALYST 一瞬で人の心が変わる伝え方の技術」かんき出版、2021年

※「第2章 保有効果 ケーススタディ2 国民の意見を変える方法」を参照のこと)

「【独占】ブランド価値成長率1位、米マスターカードCMOのプライスレスな改革」 2019年12月09日 Forbes JAPAN